私が自宅に戻ると、息子が既に学校から帰宅していた。
いつもは玄関まで出迎えてくれるタフだけど、来なかった。息子が居るというのもあるけど、「寒いから私の布団の中に入ってるのかなー」と布団を触ると居るのは分かったので「はいはい寝てるのね」とそのままにしてた。
もしかして! と思ってトイレを覗くと、悪癖のトイレの横でおしっこしてた(;O;)
それで怒られるのが怖くて布団から出ないんだなとか思ってた。
ご飯の時間になっても来ないので、様子を見に行った時、嫌な予感。
布団を開けると、眠ったような格好だった。「ほっ」と思ったものの、「たふー!ご飯だよ-」と声を掛けるが動かない・・・
恐る恐る触ると、もう既に死後硬直で堅くなり亡くなっていた。
その瞬間、一気に涙が溢れ、、、ダメだと分かっているが「起きて!タフ!」と声を掛けるが・・・・
かみさん号泣。
娘も「明日猫嫌いの友達に"うちのタフなら大丈夫だから"って、抱っこさせてあげようと思ったのに・・・たふー」
息子は一番可愛がっていたが、何も言わずタフに額を付けて「どした?もう疲れたか」というような無言の会話をしていた。
毎日のようにこうやって会話していた息子の笑顔が無いのはツライ。
タフは息子が生まれる直前に、私が通勤で自宅近くの駅に行く雨中で拾ってきた猫。生まれて2週間ぐらいの手のひらサイズにも関わらず、母親とはぐれたのか看板の陰で「ニャーニャー」と鳴いていて、「俺が見捨てたら100%死んでしまう」と思って、仕事休んで連れ帰ってしまった。
その歳病院に連れて行ったが、そこでも「だいぶ衰弱してるから、大切に育てて」と言われた。
だから「タフに生きてくれ」という意味で「タフ」と名付けた。
あの時からタフは大変な猫で、1-2歳では横走りしたりくるくると同じ所を回り、病院にいって脳波みたりしたが脳波異常で「長くないかもよ」と言われていた。毎週病院に連れて行き、次第に脳波は落ち着いて良くなった。
3歳時はマンションから脱走して、7階から落っこちてしまい、両手両足複雑骨折、鼻骨骨折と大けが。
その時も家に居なくて探しまくったら、1Fの駐輪場の陰で拾った時のように「か細く」鳴いていたのを見つけて、拾った時の事を思い出したが、逃げ出す隙を作ってしまった私がいけない。
ここからタフは凄く大人しい猫になり、そこから腎臓病煩うまで9年間も健康・元気に過ごしたものの、猫生(人生)はほんとに波瀾万丈でした。
拾った時は死にそうだったし、脳異常で死にそうだったし、7階からダイブして死にそうに。
そして腎臓病で生死の境さまよって・・・4回も危険な状態になるなんてなかなかいない。
それでも強く・たくましく生き延びたタフはまさに「人(猫)生をタフに生き続けた」わけで、人間でもなかなかこんなに凄い生き様はないと思う。
人間が大好きで誰にでも懐き、子供の友達が来ても、ちょっとした点検のオジサンが来ても、玄関に宅配便のお兄ちゃんがきてもすり寄っていってスリスリしていたタフ。
本来自由気ままななのが猫だけど、タフは「人間の家族と同じ」と本人も思っているようなにゃんこだった。帰ってくればお迎えするし、呼べばだいたい「なにーどした?」と出てくる。
それだけに家族として寂しさが大きすぎる。
毎日自宅に帰ってきてもタフのお迎えが無いのも寂しいし、
毎日夜は布団に入ってきて、真ん中にタフが寝て、私がベッドの脇に追いやられるのが無いのも寂しい。
子供達もタフが大好きで「たーふー。」と呼びかけると、遠くに居ても「なになに?どした?」と歩いて寄ってくる頭に良いタフが見れなくなるのも寂しい。
そんなタフを抱っこしたり膝の上に座らせてテレビを見たりする息子が見られないのも寂しい。
夕飯が終わる頃のタイミングを知っていて、その頃に必ず私の周りをうろうろして「抱っこしてくれ」というのが日課だったタフが見れないのも凄く寂しい。
最後にもっと早く見つけてあげられればとか、看取ってあげられなかったという悔いはある。
けど、私の布団の中で、眠るように「しあわせだったよ」という表情で逝ったのはタフらしいのかも。
腎臓病が悪化すれば、やせ細ったりそれこそ延命処置を迫られるので、そういうのも嫌だったのかな。
15年間も生き延びて家族として一緒にいてくれてありがとう。
家族としてしあわせをいっぱいくれてありがとう。
タフにはたくさんのありがとうが言える。
眠ったまま天国にいって、きっとまだ眠ってゴロゴロしてるんだうな。
ゆっくり休んでね。
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