小橋建太引退は涙無しでは・・・

Uni

2013年05月14日 20:20

本当に本当にありがとうございました。


プロレスリング・ノア 小橋建太が引退。

6度のカムバック、腎臓ガンとの壮絶な戦いとリハビリ、膝・首・腰に爆弾抱えながら、何度も手術をして第一線での戦い。
ミスタープロレス、鉄人、絶対王者
まさしく彼にふさわしい。

46歳で、プロレスラーとしては本来まだまだな年齢だが、リングでの姿は既に5-6年前から痛々しい。
引退試合では、彼と同世代の佐々木健介、それより上の武藤敬司がはつらつと動いているのに対して、(全盛のイメージが焼き付いているだけに)ぎこちないし、「む、無理すんなよ」と拝むように見ていた。

たぶんこの動きのままプロレスを続けても、ずっとファンは温かく見守るはずだし、小橋がリングの中に居るというだけで満足な人もたくさん居るはずだが、小橋を引退を決意した。自分らしいプロレスができないからというのと、体のあちこちに爆弾を抱えて、恩師であり師匠であり社長であった三沢光晴のように、リングで殉職しかねないからと。殉職自体はたぶん小橋にとって本望な気もするが、「それがプロレス界に与える影響」を考えてのことだそうだ。

私は弟に友達と、小橋が全日本プロレスで四天王と呼ばれる頃から見て、激しく共感し、何度も武道館・ドームに足を運んで熱狂したし、もの凄いパワーをもらっていた。
その頃から川田や秋山は「このままやりつづけたら死んでしまう」と、言い続けていた。
G馬場が、J鶴田が亡くなり、全日からノアに代わっても、彼らの崇高なプロレスは続いたが、
三沢が試合中に事故で亡くなったあたりから、四天王時代の熱狂は「我々が望んだこと」が過大すぎたのかも知れないと思うようになった。

「今まで以上の試合を!」と期待がデカすぎて、それ以上に応えようとした四天王達は、毎試合輝いていて芸術の域に到達していたと思う傍ら、彼らは確実にぼろぼろになってしまっていた。受け身の天才である三沢光晴ですらそうだし、練習の鬼であり、サイボーグと言われた小橋ですら満身創痍。川田は何しているかわからんくらい陰が薄いし、田上も今年いっぱいで引退を発表した。

私は20歳くらいになるまでプロレスなんて茶番だと見なかった。
だが弟に「マジですごい事になっているから」と見せられた全日の鶴龍・四天王プロレスに魅せられ、これは本当に「スゴイコトニナッテイル」と感じた。野球もサッカーも好きだが涙するほどの感動はあまりない。
彼らのプロレスは30分や60分の試合で、涙を流すほど感動したり、体の奥から震えたりする。
武道館で三冠戦をみた後、あまりの凄まじさに言葉を失い、友達や弟とはあまり会話をしてなかったように思う。

それくらいの戦いを、、、常に手を抜くこと無くやり抜くことは尋常じゃないつらさだと思う。
それ故、彼らの選手生命は確実に10年は縮まったはずだ。
でもきっと・・・・彼らはそれを後悔していないんじゃないかとも思っている。
レスラーとして、プロレス界の宝として、20年以上も輝き続け、「プロレスって、野球より、サッカーより、大相撲よりもすげーということを証明してやる」と言っていた事を実証し続けた。でも。
プロのスポーツ選手として、25年。満身創痍とは小橋の為にある言葉だが、それでも25年も輝き続け、
そして「リングで自分が死んだら、プロレス界に迷惑がかかるから」と引退する小橋。

プロレスラーとしての小橋は不器用で、彼よりも上手い選手はいくらでる居る中、まじめに「プロレス」を考え、練習を続けた結果、上手いレスラーを遙かに凌駕する化け物となった。

私は最大限敬意を持って「プロレスバカ」と呼んでいるけど、ここまで「死」を賭してする競技、命を削っている競技で、且つ楽しく、感動させる競技は他には見当たらない。プロレスの凄さ・怖さそれを小橋には教えてもらった。
引退試合をTVで見ましたが、あの蝶野が解説しながら涙していた。
秋山も。俺も。
最後のムーンサルトプレスは「止めろ」と蝶野が言ってが、私も「膝が壊れるから!」
と祈りながら見ていた。

リングインタビューで、「三沢さんが引退できなかったから、一緒に引退したかった」みたいなこと言っていたが、本当にあんたええ人だよ。

小橋、数え切れないくらいの感動をたくさんもらったよ。
引退後に何をするか分からないが、第二の小橋伝説がまた始まります。
馬場さんや三沢さんが、「ゆっくりしろや」と天国から言うと思うが、「分かりました」と言って、また爆走するんだろうな。



PS:小橋の逸話=プロレスバカ度は大変おもしろい。
是非wikiをご覧ください。


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